CEO’s Message
感性の反逆と復権。
近年、様々なシーンでデザインの可能性が見直されつつあります。サイエンスとデザイン、さらには論理と感性のパワーバランスにも、地殻変動が生じていると言えますが、人類の歴史を振り返れば、少なくとも近世以降、感性は度々、論理に対する反逆と復権に挑んできました。
例えばルネサンスは、キリスト教神学が牽引した論理偏重化の反動として、人間の感性の復権を高らかに宣言したムーブメントだったと解釈できますし、「デザイン」という概念を生んだアーツ・アンド・クラフツ運動は、19世紀の産業革命がもたらしたシステマチックな工業製品の隆盛に対して、職人の手仕事による美しい装飾を見直すムーブメントだったと言えます。時は下ってヒッピーカルチャーや90年代以降のApple社の繁栄などには(必ずしも「論理VS感性」という図式に単純化はできないものの)その片鱗を強く窺うことができます。
科学的管理手法の限界を越えて。
伝統的なビジネススクールへのMBA出願数が減少する一方で、多くのグローバル企業が名門美術系大学やアートスクールを幹部教育の場として活用していること、世界中のコンサルティングファームが次々とデザイン会社を買収していること、近年北欧系のビジネススクールが「創造性」を最重要視し「クリエイティブ・リーダーシップ」をカリキュラムの看板として掲げるようになったことなどは、経営における科学的管理手法の限界と、それを超克するのは感性(あるいはデザイン)の力であるという共通見解の存在を示しています。実際、2008年時点で既に、Harvard Business Reviewに「The MFA is the new MBA(芸術学修士は新しいMBA)」という記事が掲載され、MBAで学ぶような分析的アプローチよりも、美術系大学などで学ぶ統合的なアプローチの方が有効であるという論が展開されています。そしてまさしく、論理は分析的アプローチの筆頭格であり、感性は統合的アプローチの筆頭格です。
論理と感性の相互接続社会へ。
経営の意思決定において合理性が重要であることは、経営学者のイゴール・アンゾフが1965年の著書『企業戦略論』において世界で最初に指摘しましたが、その彼自身が、合理性・論理性を過度に求めれば、企業は「分析麻痺」に陥り意思決定は停滞すると、辛辣に警鐘を鳴らしていました。なぜ分析主義・要素還元主義がうまく機能しにくくなってしまった(もちろん、対象や状況によっては今でも大変有効だと思います)のかは、米国陸軍のVUCA理論を引き合いに出すなどして様々な説明が成り立ちうるかと思いますが、一つ確実なのは、ミクロなレベルでの正しさと、マクロなレベルでの正しさは往々にして全く異なるということです。量子力学をはじめとした素粒子物理学が取り扱うミクロな世界は、マクロな物理世界の万能薬である相対性理論では全く説明がつきません。部分最適と全体最適という概念セットや「木を見て森を見ず」ということわざも同様の指摘をしています。
一方、デザインという思考様式は、いわば森を見ながら木も見る、統合的に全体観を捉えながら細部の合理性にもこだわる知的生産システムだと私は考えています。デザインというと感性の側面がつい取り沙汰されがちで、実際他の知的生産システムには無いか少ない要素だとは思いますが、論理と感性を融合させる点にこそ、デザインの特徴があると思います。
私たち人間は日々の生活においては、論理と感性をごく当たり前に相互接続させて暮らしています。心当たりが無いという方は、恋をした時のことを思い出してみてはいかがでしょう。論理的な推論も直感的な判断も、頭の中をすべて総動員して相手に振り向いてもらおうと望んだりはしませんでしたでしょうか。
複雑で難しい問題に向き合う時、個人レベルで論理と感性を相互接続させているように、企業経営においても、論理と感性の両面から前へ進んでいくことが自然なのではないでしょうか。デザインが可能にする、戦略性と胸の高鳴りが共存する経営のあり方が、成功パターンとして社会に広まっていけば、労働の意味が変わり、生き方の解像度が変わり、社会全体がより魅力的になっていく。私はそう信じて、この道を追究しています。